主観、客観は古い。

客観とは何だろうか。主観の対義語? では主観とは何だろう? 自分の1人称、主体だと思っているものは、他人にとっては主観ではない。また、1人称でない自分を考えることもできるが、それでも主観なのだろうか。


確かに、1人称でない自分を考えるというのは客観的といえるだろう。しかし、主観が何かよく分かっていないし、それに対する客観というのもおかしな概念である。それを持ち出して〜的、というのは、たんに〜的って言いたかっただけ何じゃないか、と考えてしまう。このような定義のしようがないものを使うのはよくない。


そもそも、他人の観念を実際に知ることはできない。それは自分が、他人の観念として考えていることである。この意味で実際の客観を考えることは出来ない。また、自分の観念というのも、自分が、自分の観念として考えていることといえる。直に自分の観念を指し示すことはできないのだ。この意味で、実際の主観を考えることは出来ない。このように、主観・客観という概念は意味を為さないので、この観点による議論は好ましいものではない。

ならば、どのように考えるべきか。

これが議論の搬送性についてに繋がるのだが、つづきは後日。