「嘘か真か」は古い。

嘘とは何だろうか。真実ではないこと? では真実とは何だろう? 自分が真実だと考えていることに、自分以外は誰も保証はしてくれない。他者は嘘を吐いているかも知れないのだ。しかし、自分が真実だと思っていても、自ら欺いていることもある。思いこみや錯覚があることを考えれば、自分も疑って然るべきである。


絶対的な真実などは存在しない。何か信仰上の理由から真実の存在を信じるならそれで構わないが、嘘や真という言葉は実態を反映していない、古い言い回しであると言わざるを得ない。
真実の話は存在しないのだから、その反対にある嘘も意味を為さない。だが、真実や嘘という尺度は、情報源の性質、情報の有効性を検証する上で大事な要素である。では、もっと良い表し方はあるだろうか。


それに丁度良いものは、妥当性だろう。主張が真実であるかどうか、は実効性を持たないが、主張の妥当性について検証することは比較的有意義である。真実であるかどうかを考えるときは、その前提は個人的な、主観的なものになってしまう。一方、妥当性を考えるときは、常にその前提も込みで考えることになる。問題にしている命題の、属している命題群を考慮しないと、妥当性を測ることはできない。その妥当性の性質が、議論を可搬的なものにする。